兵藤恵昭の blog

団塊世代の特定社会保険労務士。博徒史、アウトロー中心に書いています。

歴史

浄瑠璃坂の仇討ち

武士の仇討ち事件は忠臣蔵の赤穂事件が有名である。しかし、赤穂事件の31年前に起きた「浄瑠璃坂の仇討ち」事件を知っている人は少ない。浄瑠璃坂の仇討ちは寛文12年(1672年)2月3日未明、宇都宮藩を追放、脱藩した奥平源八ら同志42名が父の仇の同藩の元藩…

会津藩に味方した越後の博徒・観音寺久左衛門という人

幕末の戊辰戦争では多くの博徒が参加している。三州の平井亀吉、甲州の黒駒勝蔵などである。彼らの戦争参加の理由の多くは利害関係、人間関係の繋がりによるものである。しかし思想とまでといかなくとも、個人の信念でこの戦争に参加した博徒は二人しかいな…

八丈島流人・近藤富蔵という人

江戸・永代橋のふもとから、八丈島に流される一隻の流人船が、隅田川を下って行った。その船に、近藤富蔵という23歳の若者が乗っていた。ときは江戸時代後期、文政10年(1827年)旧暦4月26日(太陽暦5月末頃)の朝である。犯した罪は殺人。彼の父親は近藤重…

三代で消滅した高田屋嘉兵衛という人

小説「菜の花の沖」を書いた司馬遼太郎は、英知と勇気において江戸時代の人で最も偉い日本人は高田屋嘉兵衛であると言っている。嘉兵衛は淡路島の出身で、兵庫の和泉屋喜兵衛の下で沖船頭となり、その後和泉屋の支援で、自前の千五百石積み船「振悦丸」を手…

函館の博徒・柳川熊吉という人

幕末、北海道の函館に柳川熊吉という博徒がいた。年齢は、有名な清水次郎長より5歳年下である。熊吉は、榎本武揚旧幕軍と薩長官軍との函館戦争で放棄された旧幕軍兵士の遺体を勝手に埋葬した罪で死罪の刑を受けた。 (博徒名)柳川 熊吉 (生没年)文政8年(…

日本最悪の羆襲撃事件「三毛別羆事件」

「三毛別ヒグマ事件」をご存知だろうか?北海道の開拓村で起きた日本最悪のヒグマによる村民襲撃事件である。この事件の実態を描いたのが元北海道庁林務官木村盛武の本「慟哭の谷」である。作家吉村昭はこの事件を小説化して「羆嵐」を発表した。「三毛別ヒ…

北海道最果ての樺戸監獄

樺戸監獄をご存じだろうか?明治12年設置の東京小菅の東京集治監、仙台宮城集治監に次いで北海道に設置された集治監である。よく知られている網走監獄は樺戸監獄の分監として開設された。その他の分監としては空知監獄、釧路監獄がある。作家吉村昭の小説「…

海賊房次郎と破戒僧・大須賀権四郎という人

北海道樺戸郡月形町に旧樺戸集治監がある。ここに明治の終り、対照的な二人の囚人がいた。一人は「海賊房次郎」と呼ばれ、もう一人は「破戒僧・大須賀権四郎」である。 明治43年、15年の刑期の強盗犯・大沢房次郎が入所した。房次郎は「海賊房次郎」の異名が…

脱獄囚・五寸釘寅吉という人

明治の頃、北海道最果ての監獄である樺戸監獄から何度も脱獄に成功した脱獄囚がいた。異名を五寸釘寅吉と呼ばれ、人並を外れた運動能力で数々の脱獄を成功させた。数々の強盗、放火、傷害事件を起こした無期囚で、本名を西川寅吉と言う。 (別名) 五寸釘寅…

博徒・合の川政五郎という人

「合の川」とは、現在の群馬県邑楽郡板倉町と埼玉県加須市の境界を流れる利根川の流路の一つである。ただし、現在は廃川となっている。この付近は利根川の流路を利用して、銚子の海産物、醤油などを江戸に送る船運基地として物流、商業地として繁栄していた…

江戸城の御金蔵を破った盗賊たち

享保5年(1720年)5月、京都二条城御金蔵から2百両が盗まれた。翌年には、大坂城の御金蔵から金が盗まれた。この2件は番方同心の犯行であった。しかし、厳重警備が予想される江戸城の御金蔵に忍び込む者はいなかった。 御家人崩れ浪人藤岡藤十郎と、野州犬塚…

相対死(心中)した二川宿の飯盛女たち

街道における遊女の存在は古く、平安末から鎌倉時代に白拍子と称される女性がいた。江戸時代、各宿場に遊女まがいの飯盛女がいたことはよく知られている。幕府は享保3年(1718年)飯盛女の数を旅籠屋1軒あたり、2人までとしてその存在を黙認した。飯盛女を…

無宿浪人・平手造酒という人

ヤクザの用心棒・平手造酒(平田深喜)は皆さんも良く知っているだろう。三波春夫の大利根無情、「佐原囃子が聞こえ来る。思い出すなぁ、お玉ケ池の千葉道場、平手造酒も今じゃ、やくざの用心棒、人生裏街道の枯れ落ち葉・・・」のセリフで有名である。 平手…

白波五人男の盗賊・日本左衛門という人

白波五人男『問われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松在、十四の年から親に放たれ、身の生業も白波の、沖を超えたる夜働き、盗みはすれども非道はせじ、人に情けを掛川から、金谷をかけて宿々で、義賊の噂、高札に・・・』と大見えを切った大泥棒…

博徒・竹居安五郎の三つのお墓

竹居安五郎は、竹居村名主の四男として生まれ、黒駒勝蔵の兄貴分でもあり、甲州を代表する博徒である。別名「竹居の吃安」とも呼ばれている。 安五郎が17歳の時、人斬り長兵衛の代参で兄手合い7人と一緒に相模国道了尊の祭りに賭場を張りに行った。しかし、…

仙台の博徒・丸屋忠吉という人

仙台の侠客・丸屋(鈴木)忠吉を知っている人は少ない。 丸屋忠吉は幕末博徒の大前田英五郎、大場久八、相模屋政五郎と並んで、全国的に名を知られた博徒である。庶民的には国定忠治、清水次郎長が講談で有名だが、当時の大物博徒・親分とは前者の博徒を指す…

江戸時代の自爆テロ要員「捨足軽」

イスラム国家での自爆テロ事件が絶えない。最近では子供、女性も自爆テロ要員になっているという。なぜ平和を愛するムスリムが、自分も含め、多くの人間の命を奪うのだろうか?美しい菊を愛でながら、殺人も辞さない刀を尊ぶ日本人を理解できない米国人や外…

うつ病の尾張藩士小山田勝右衛門という人

尾張藩主側近である御小納戸職の職務記録の「御小納戸日記」にうつ病に罹った藩士の記録が載っている。 それは尾張在勤の御小納戸小山田勝右衛門高明という藩士である。小山田は家禄150石をうけ、藩主の側近として藩主の日常生活の下働きをする武士である。…

明治最後の仇討・臼井六郎事件

浅田次郎の小説に明治最後の仇討の話がある。しかしこれはフィクションで現実の話ではない。現実にあった話は、秋月藩の執政心得臼井亘理夫妻が殺害され、実子の臼井六郎が明治13年に仇討した事件がある。この話は「幕末史談会速記録」に記載されている。 臼…

盗賊・田舎小僧という人

前回、ブログで鼠小僧について書いた。今回、取り上げるのは、鼠小僧ほど有名ではないが、同じく大名屋敷専門の盗賊・田舎小僧である。田舎小僧は、同時期の稲葉小僧と混同されるが、両者は同じ盗賊なのかは、諸説あって、定かではない。本人は「自分は稲葉…

義賊・鼠小僧次郎吉という人

鼠小僧といえば、時代劇ファンでなくとも名前ぐらいは知っているだろう。100軒以上の大名屋敷に忍び込み、3,000両以上(約5億4千万円)の金子を盗み出し、義賊として芝居や講談で取り上げられた。盗賊の中でもヒーロー的存在である。しかし、その実体、素顔…

死出の旅の往来手形・勘助、草津の旅

高橋敏氏は、著書「江戸の平和力」で、江戸時代の行き倒れ死亡者に対する対応を評価し、江戸時代は予想以上の安心社会であると述べている。内容は、江戸時代の草津温泉療養の旅に出た庶民の旅先での病死の顛末である。 弘化4年(1847年)7月22日、豆州君沢郡…

土佐藩御用達の火消し・相模屋政五郎という人

相模屋政五郎という侠客を知っている人は少ない。博徒ファン仲間でもかなりメジャーな人物である。別名「江戸の相政」ともいう。「相政」にはもう一人、佐渡へ流罪となった渡世人の面倒を見た博徒の親分「佐渡相ノ川の政五郎」がいる。そのため「相模屋政五…

悲劇の博徒・笹川繁蔵という人

「利根の川風、袂に入れて、月に棹さす高瀬舟」講談、映画で有名な大利根月夜の舞台であり、天保水滸伝として、笹川繁蔵、用心棒・平田深喜(別名・平手造酒)と飯岡助五郎との大利根川の決闘は良く知られている。 笹川繁蔵の生家岩瀬家は、須賀山村の東南に…

次郎長の兄貴分博徒・津向文吉という人

津向文吉は、駆け出しの頃の次郎長が喧嘩の仲裁をした相手方で、それを機会に次郎長の兄貴分となった博徒である。文吉は、温厚な性格で、男盛りの39歳で、八丈島に島流しになったため、あまり知られていない博徒である。しかし、細面で品のある二枚目の色男…

喧嘩しない大親分博徒・蕎麦亀という人

博徒というと国定忠治、黒駒勝蔵、清水次郎長などの名しか思いつかない人がほとんどだろう。しかし、世間的に名も知られていないが、博徒として歴史に名を残しても良い博徒がいる。歴史的有名人だけが優れているのではない。無名でも優れた博徒がいる。特に…

賊軍旧幕兵士戦死者を埋葬した博徒たち

明治維新で賊軍幕府側戦死者の遺体収容の行動を取った博徒は少なくとも4人いた。 中でも最も有名なのが威臨丸の清水次郎長である。新政府に反旗を翻した旧幕府海軍榎本艦隊威臨丸が台風に遭遇、破損して駿府藩の外港清水に緊急避難した。艦長小林文次郎は駿…

次郎長より有名な博徒・森石松という人

森石松というと東映映画30石船の「寿司食いねえ」の中村錦之助を思い出す。片目でドモリのおっちょこちょいのやくざという印象である。清水一家では一番有名な子分である。しかしその実像は謎が多い。存在そのものが架空という人もいる。清水一家での活動期…

悪者博徒の代表・飯岡助五郎という人

飯岡助五郎は天保水滸伝では悪者博徒の代表である。子供の頃、見た映画では、配役は笹川繁蔵を高田浩吉、平手造酒が鶴田浩二で、非常に恰好良く、飯岡助五郎は近衛十四郎であり、いかにも憎たらしかったことを覚えている。助五郎は関東取締出役の目明しの二…

次郎長のお目付け役の博徒・安東文吉という人

安東文吉は駿河国府中(現・静岡市駿河区)に一家を構えた二足草鞋の博徒である。別名「暗闇の代官」「日本一の首つなぎ親分」と呼ばれ、その評価はさまざまである。 (博徒名) 安東文吉 (本名) 西谷文吉(生没年) 文化5年(1808年)~明治4年(1871年) …